凡人

ただの人です。

正しい知識を身につけよう

僕ね、自分でも自覚してる部分があるくらい頑固なところがあるの

どういう感じに頑固かと言いますとね、「自分が正しいと思った事は、納得するまでは認めない」という感じ。ふわふわ〜っとした説明じゃ絶対認めたくなくて、「なるほど!だからこの話は正しいんだ!」と納得できるまでひたすら考え、聞く。頑固でしょ

 

これ、多分身近な他人とかだと「何こいつウザ」って思われても仕方ないし、実際同期とかにも「変に細かいことばっか気にするよね」って言われる。勉強しないのにってのはごもっとも。僕が悪い。

 

でも、この点について僕は何一つ自分に落ち度はないと思ってるし、この在り方は正しいと思ってる。それはなんでかっていうと、正しさには必ず「それが正しい理由」が存在するから。では、「僕がこの在り方が正しいと思う理由」について説明します。

 

"正しさ"というものは、まぁどんなものにも存在はするよね。"正しい"こと、ってのは、つまり「それが絶対に成り立つこと」であり、「反例がない」こと。反例が存在するってことは、それは少なくとも"正しい"ことではない。

で、間違ったことをただ覚えていたらどうなるか。僕は今は見習いといえど、人にものごとを教えるような仕事に就いてる。ってことは、僕が間違ったことを覚えてたら、その間違った僕が教えたお客さんが正しいことを学ぶ訳がないよね。

そうでなくとも、日常会話、先輩後輩、どんな人であっても、正しい知識がなければ当然正しい話はできない。

 

誤解はしないで頂きたいんだけど、間違ってることが完全に悪なんじゃない。無知は罪、と言うけれど、そうなれば人間みな罪でドロッドロだし。

悪いのは「間違った内容を適当に他人に喋る」こと。間違った内容を覚える場合ってどんな場合?っていうと、「知った内容について自分で理解しようとしない」場合。つまり、「他人から聞いた話は全て正しいと"思い込む"」場合。

どう?他人の話、鵜呑みにしてない?

 

先日は「自分の発言について責任を持て」と言った。今回の話はこれに通ずるものがあって、自分の発言は、時に他人の人生をも変えかねない、ということは、ゆめゆめ忘れてはならない。

自分がしっかりと説明できない限り、それは"正しい"話だとは言えないし、僕は"正しさ"を軽視した人間は大嫌いです。なので、苛立ち半分で「じゃあ分かるように説明してみろよ」という態度になります。まぁちゃんと説明できる人ってマジで優秀な人ばっかりだけどね