凡人

ただの人です。

認められたいと思うこと

率直に言おう。

「他人に認められたい」と努力するのは、れっきとした甘えだ。

 

「他人に認められたい」というのは、すなわち「自分の人生の価値を見出して欲しい」ということであり、「自分の人生における価値の有無を、他人の采配に任せ切っている」ということである。

他人が「右を向くべきだ」と言えば右を向き、「人は殺すべきだ」と言えば殺す。

 

何故か。簡単だ。「あの人が言ったから」と指を指せば、自分に向けられた視線を簡単に逸らすことができる。失敗しても、間違えても、自分は何も悪くない。悪いのは全て「あの人」。

 

であれば、他人が否定しない行動を選択していけば「間違える」ことはない。その人にとっての間違いとは、他人の物差しでしか測っていないから。他人から認められれば、少なくとも他人からみた間違いはないだろう。

 

くだらんとは思いません?

褒められたら嬉しいし、叱られたら悲しい。当然だ。

でも、誰に褒められたいからとか、誰に叱られるからとか。そんなちゃっちい理由で人生決めてて楽しい?

 

まぁ仕事とかは確かにね、他人に迷惑をかけないよう働かないといけない。

けど、自分の生き方までそんなちゃっちいモンにしてたら、お前の人生えらいこっちゃやぞ。

まぁ、それでも私は他人に認められたいってんなら構わん。それもまた人生。

けど、「こんな人生になっちゃったんですけど、どうしたらいいですか?」って聞くようなことになったら、他人はこう答えるだろうよ。

 

「知ったこっちゃねぇよ、てめぇでなんとかしろ」ってね