がんばった
人は「できる」ことによく憧れる
スポーツも、勉強も、仕事も。どんな状況でも、「できる」ことをとにかく求める。まぁそりゃね、できないよりはできる方がいいし、できた方がカッコいいし、すごい。称賛される。
けど、なんだろう、それまでの努力とかさ、葛藤とかさ、そういうものを全部「がんばった」でまとめられて、才能でも努力でも「できる」以外の表現をされなくてって、面白くないなーって個人的に思うんだよね
別にいいんだよ?がんばった人はすごい。当たり前。できるようになった人はもっとすごい。当たり前。だけどさ。できるようにならなかった人は?がんばったけどできるようにならなかった。がんばってないけどできるようにならなかった。全部一緒。「できる」か、「できない」か。がんばっても、がんばらなくても、超がんばっても、超がんばらなくても。
まぁもちろんそこを評価してくれる人もいるけどね。でも結局、「できる」か、「できない」か。以上。
でも結局、「まだ生きてる」か、「もう生きてない」か。以上。がんばっても。がんばんなくても。他人に評価されても。馬鹿にされても。
おもしろくねー。
なにをがんばってきたんだろ。