凡人

ただの人です。

防衛的に生きる

僕はよく、ネガティブだって言われるんですよね

例えば何か新しく始める時「もし失敗したら…」とか「多分やったことないし無理だよ〜…」とかって言うし、基本関わった人は抱かれてるであろう好感度から-3くらいを想定して接してるし、自分の能力に対してある程度できることがあっても「完全にできる訳じゃねぇし、どっちかと言ったらできないのでは…」って考えたりするのが基本、って考えると、確かにただのネガティブ野郎なんだよね

 

けど、実は僕自身、自分をネガティブな人間だとは思ってなくて。てかまぁ勘の鋭いガキは「いや自分の評価より低めに設定してる自覚はあるのね」って思うだろうね。そうなんだよ。自分の実力が低いと思ってるんじゃなくて、"低めに設定してる"んだよ

 

車の運転に関して、"防衛的運転法"ってのがありまして

「常に自らを防衛し、事故を未然に防止しようとする運転方法であり、自分の生命も相手の生命も同時に守ることができるものである。」といったものなんですね

つまり、「もしかしたら人が飛び出してくるんじゃないか…」とか「交差点の曲がり角から車が減速せずに出てくるんじゃないか…」みたいな事をあらかじめ考えながら走行するっていう運転法なんですよ

素晴らしい心がけだし、安全志向も高いですよね。学科の教本にも書いてあるので、免許をお持ちの方は引っ張り出して読んでみてください

 

そんな防衛運転になぞらえて、僕は「防衛的思考」みたいな事を前から考えてたのよ

僕がネガティブだと思われている考え方は、実は防衛的思考に基づいたものだった訳です

例えば、成功した時の事ばかり考えて失敗するのより、失敗した時の事を想定してた方が成功しても失敗しても確実に楽だよね

あるいは、他人に興味を抱かれてる、好かれてると思いこんでた時に裏切られたら、めちゃめちゃショックじゃない?

 

あ、勘違いしないでね。決して「挑戦するな」って言ってる訳じゃない。挑戦しない人生ほど無価値なものはないとすら言えると思う。運転だって、事故を起こさない究極の方法は"運転しないこと"だもんね

じゃあなんなんだ、というと、「どんな時も必ず一歩下がって考えると楽だよ」って話

「でも」とか「だって」で否定してるのは"挑戦すること自体"だけど、「もしかしたら」や「かもしれない」で否定してるのは"絶対に成功する未来"、つまり"傲慢"や"奢り"なんだよね

 

しかも一歩下がる特典もあって。皆さん、今いる場所から一歩下がってみな。見える範囲が狭くなりました。って人いる?

基本的に一歩下がると、視野は広くなる。けど、狭くなるもいないこたぁない。どんな人かっていうと、通路の出口あと少しの人とか。壁が両側にあったらまぁ狭くなるんだよね。焦る。慌てて出ようとして、出口から先に足元がないのに気付かなかったりして。落ちちゃったらもう終わりだよ。

 

脱線しました。まとめると、僕はネガティブなんじゃなくて"防衛的に生きてる"だけ。これは考え方であり、他人が否定する場合僕の"人生そのもの"を否定することになるってのを自覚した上で否定してください。よろしく。